小泉城址(小泉城跡)の変遷(1)

城趾の石碑

現在、城趾公園として小さなスペースになっている場所に石碑がありますが、これは昭和26年に建てられたものです。裏面にまわるとそのことがわかります。

 

結構葉が茂ってくるので刈った直後にしかはっきり見えません

石碑建立に尽力された地元の方々のお名前が並んでいます。この石碑が建てられた頃、この場所には「片桐中学校」が存在しました。(現在の片桐中学校とは違います。)地元で、ある程度の年齢以上の方はこの(旧)片桐中学校ご出身のかたも多いかと思います。その頃の写真があればいいなと思いますが、身近に卒業生がいないので卒業写真などを見ることができません。もしお持ちのかたがいらっしゃれば、校舎の様子などを見せて頂きたいなと思うのですが。

中学校が建てられたのは昭和23年で、そのことは石碑横にある顕彰碑にも記されています。訪れる人は、新しい方の案内版は熱心に読まれていますが、足元の顕彰碑は読みづらいのもあって見逃している人が多いようです。

小泉城址顕彰碑

書かれている内容は

この付近は、小泉陣屋(片桐藩主家敷跡)が構えられ、また小泉神社(飛地境内)のあった所として広く親しまれてきた。なおこの地は昭和二十三年三月旧片桐中学校々舎が建設されるに當り所有者、斑鳩町笠目吉田亀吉氏が市へ提供されたものである。昭和五十五年七月建之大和郡山市長吉田泰一郎

いくつか気になったので調べていきました。

斑鳩町の吉田亀吉氏、何故この地を所有されたのかはわかりません。当時の市長と姓が同じなのも若干気にはなりますが、わからないのでとりあえず保留。あれこれ調べていると、亀吉氏は他にも痕跡がありました。斑鳩町笠目というと、JR大和路線法隆寺駅の近くです。法隆寺駅にもまた、亀吉氏の遺された石碑がありました。昭和二年建之、資産家でいらしたのかなと想像します。

JR大和路線法隆寺駅 広瀬神社道標

昭和23年から昭和40年頃まで、小泉陣屋跡には上記のとおり中学校がありましたが、その後住宅地として分譲されました。藩主邸跡地、特に台地先端部は6人の地元の方々が買われたそうで、六人衆とも自称されていたとか。(A氏、K氏、S氏、F氏、M氏、Y氏)いずれも元藩士または有力町人だった方々の後裔です。何かこの地への思いがあったのかもしれませんね。

続く

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