小泉陣屋の範囲(2)で引用した「片桐といふ處」には、別の図面も収録されていました。例によって個人宅のお名前は隠す加工をしています。

これを見ると、藩主邸宅跡に片桐神社があったような図になっています。「現在」、とあるのは出版時点、つまり昭和5年当時の様子であることを指します。本文には「藩主邸宅址に片桐神社があって、一間社春日造の神殿が、木鳥居一□無銘石燈籠二基と淋しく立って居るのは物あはれな感じがせぬではない」と記述があります(※一間社春日造は柱が2本で、桁行(柱の間)が1間のこと)。前記事(1)で解読した顕彰碑に記載がある「小泉神社(飛地境内)」
この付近は、小泉陣屋(片桐藩主家敷跡)が構えられ、また小泉神社(飛地境内)のあった所として広く親しまれてきた。
と関係がある気がします。そこで実は前から気になっていたことがあり、先日小泉神社に行ってきました。小泉神社境内に「片桐神社」があるのです。

先日朔日参りをして、本殿を覗くとたまたま璒美川宮司がいらしたのでお話を伺ってみました。大変気さくな宮司様で、いろいろ聞くと教えて下さいました。片桐神社は、やはり藩主の邸宅内に元々あったそうです。中学校を建てるので、小泉神社境内に移転されたとのことで、モヤモヤが晴れました。そしてこの片桐神社は藩祖片桐貞隆の兄である片桐且元を祀っていることも教えて頂きました。藩主邸内に、兄を祀る神社を作っていたと考えると、兄弟の仲がすごくよかったのだなと感じます。
ついでながら、「昔は稲荷神社もあった」とのこと。確かに高林庵横の道路沿いに碑があります。

この碑は昭和に入ってから建てられたものですが、昔はこのくぐり戸からお稲荷さんにお参りができたらしく、松尾山に上がる時にここに立ち寄るのがコースになっていたとか。
ところでもう一つ、気になるのは昭和5年には現在の城趾区域に「ゴム工場」があったらしいということです。藩主邸宅跡はの変遷は、
- 明治~大正期間:不明
- 昭和初期~昭和23年:ゴム工場と片桐神社
- 昭和23年~昭和40年頃:片桐中学校
- 昭和40年~:宅地分譲
と整理されるのかなと思います。ゴム工場について、何かわかると良いのですが。
続く