ちょっと時間をかけて、城下町の(陣屋なので城下町と言ってよいのかわかりませんが)雰囲気がわかる図を描いてみました。地元の長老、Y口さんに頂いた昭和10年頃の町図面を元に、農業、勤め人以外の生業を順番に並べています。あいにく北之町(きたんちょう)の町図はなく、現在の「本町」部分が中心ですが、構図はわかるかと思います。北之町にもお店は並んでおり、昭和の中頃まではバスも走っていたとのことです。図を描くにあたっては各戸建屋の面積は考慮せず(できず)、また配置も多少ずれているので現在の住宅地図上に重ねてみても必ずしも現在のお宅に該当する訳ではなく、誤解されないようお願いします(今も商っていらっしゃる場合は明らかにわかるところもあります)。昭和に入ってからの町図ですから、藩があった頃から70年経っており、住民もかなり入れ替わっていると思いますが、町場の道路沿いに店や工房などが並んでいた様子は想像できると思います。
道路の色が茶色の所が「町方(まちかた)」です。いわゆる城下町。薄茶(ピンク)は郭内の道路です。ここには描ききれませんでしたが、この図の東側には富雄川が流れており、その対岸、今の大和小泉駅に向かうあたりは「村方(むらかた)」といって農家が多く居住する地域でした(現在の字「市場」)。小泉神社から南へ延びる道路付近は「出張(でばり)」と呼びますが、北之町、中之町、本町、よりも後、江戸時代後期に発展し、町方は4町となったようです。

随所に鍵型が取り入れられており、見通しがきかない道路の配置を考えると、陣屋とはいえ立派に城下町としての機能を果たしていたことがうかがえます。幕末には郭内に約150人ほどの藩士(武士)が住んでおり、また町方には100戸程度の町屋があったようです。面積はさほど広いわけではなく、町方を南端から北端まで歩いたとしても20分程度でしょう。
ちなみに、この図には庚申さんのそばに「太鼓倉」があります。秋祭りの布団太鼓(太鼓台)を格納する倉庫の一つが当時はここにありました。地元の人しかわからないかもしれませんが、今も秋祭りにて布団太鼓の小泉神社境内での練り、町内練りまわしがおこなわれています。2020年はCOVID-19(新型コロナ)の影響で中止となりましたが、毎年壮麗なお祭りを見ることができます。最近では担ぎ手が少なくなり大変そうですが、外部から転入された方もどんどん参加下さって、地元の祭りを続けられるといいなと思います。

続く