しばらく仕事が立て込んでおり、投稿できませんでした。次に書こうとしていたテーマが大きすぎてまとまらないので、気分を変えて撮影した池の写真をアップします。このあたりをのんびりと散歩される地元の人をよく見かけます。
「なぎなた池」はその名のとおり薙刀の形をしているからでしょう。羽田長門守(戦国時代郡山城城主だった豊臣秀長の家老)がこの地を治めた時代に外堀として造ったものと伝わっています。羽田長門守は実際には郡山に住んでいたとのこと。その後片桐氏の小泉藩時代、このあたりは上級中級の藩士邸宅が軒を連ねていました。廃藩後は住む人も減ったそうですが、昭和10年頃、藩主末裔と姻戚となった藩出身のM氏が古材を集めて自邸に模擬櫓など建築されました。そのおかげで今も池の対岸からは往時の雰囲気が感じられる風景が残っています。個人宅としてお住まいですので全景は遠慮し、写真はお庭池側との間から北西向きに撮っています。



振り返って東側のお庭池を。藩主邸宅の南側に広がる池なのでお庭池と言うのでしょう。これもまた、薙刀池と同じころ、堀として造成されたそうです。


地元でも、城跡(陣屋跡)がどのあたりなのか、といったことや、この2つの池が堀だったということまであまり意識されていない気がします。片桐西小学校の校歌に「片桐の城のあと ひらけゆく あらたな郷土」という詞がありますが、あらたな郷土になっても歴史が忘れ去られないよう願います。